自分の存在って人がいるから出来るもの。
顔を覚えられ、名前を覚えられ、キャラを覚えられ、人の間で語られ、人に紹介され…
だんだん存在感が出てくる。
あのひとはあーだとか、あのひとはこーだとか…
それが自分の思う自分と違ってても、白が黒でも、天が地でも、人からそう評価されるのならそれが自分なんだろう。
親の元で育ち、地元の友達が出来て、範囲が広くなって、テレビやネットで情報得て、社会に出て、そうやって自分の普通・常識ができて、その経験から人を見る。
何が普通で、何が普通じゃなくて、何が常識で、何が非常識で…
人それぞれ違うからもめる事がある
解決策は個々をわかり合う気持ち…それが「愛」。か?
ただもめたくないから相手にあわせるだけ…それも「愛」か。
逆に価値観や経験が似てるから仲良くなる事もある。
なら身長低めの男が好きな子は場末のバーで僕を待ってるのか…
人それぞれ違うしその人になってみないとわからないから出来るだけ僕はぶっちゃけでいたい。
人として生きる為に限度はあるけど。
好きな物は好きだし、好きじゃない物は好きじゃない、誰にでも格好良くいたいわけでも、誰にでも愛想いいわけでもないし、
強いわけでも、弱いわけでも、エロいわけでも、エロく無いわけでもないかもしれない。
嫌なときは嫌って言うし、怒る時は怒る。
どうでも良いときはうなずくけど興味ないとは伝える。
女に手を出しそうで出さないし、出さない様で出すかもしれない。
それでも自分の存在は人が決めるもの。
元彼、元旦那に似ていればそのキャラが作られて、友達に似てればそのキャラ、ドラマのキャラならドラマのキャラ…
そんな僕が今好きな女性…
「明日花キララ」ちゃん♥♥♥
熊田曜子っぽいかなぁ…
カテゴリー:カインドの日々
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